“この世界を味わう”ための感覚器官の中心になるもの

下腹部の中心にある第2チャクラは、”身体のメッセージの中心” を担います。

身体からのメッセージは強烈で、思考は勝てません。


僕らは、理屈や理論、思考・・

つまり頭への働きかけよりも
身体にダイレクトに働きかけられたときにどんどんそちらに引っ張られていきます。


より、本能的、生理的、感情的なものに引っ張られるからです。


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この時、コミュニケーションは
言葉ではなく
生命エネルギーによる身体の共振反応になります。


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生命エネルギーによる身体の共振反応が起きた時、僕らは思考の枠組みを超えて対話をしています。

つまり、”動かされてしまう”のです。


もし、僕らが普段から理性や思考によって、”自分”を保とうと努力してきた場合には恐れを感じます。


社会的な立場、知識、肩書き、実績によって、”自分”を表現しようとしてきた場合には恐れを感じます。


それは、僕らが理性によって自分をコントロールし作り上げる生き物ではなく
身体で感じ、考えて反応するという
より本能的、動物的な自分がいることを思い出すからです。


これまで、積み重ねてきた”自分”だと思いたいアレコレではなく、元々備わっていた身体により動いている自分を、揺さぶられてしまうからです。


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でも、第2チャクラの
“生命の振動”で生きている人
対話している人の魅力には勝てません。

そういった人たちは、
“生きる”というものを生身で表現しているからです。


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イキイキとセクシーで、生命エネルギーに満ちた存在に僕らは魅了されます。
身体で魅了されたとき、”頭でつくりあげた魅力”が勝てるはずがありません。


” 身体によって豊かな生命エネルギーの振動を表現している存在 “

の魅力は圧倒的です。


なぜなら、彼女たち、彼らは “生きている” からです。
生命を、身体を生きているからです。


身体を目一杯使って、泣く、笑う、怒る、はしゃぐ、唄う、踊る、走る、遊ぶ様は、本来の生き物としての僕らの感覚を思い出させます。


もし、思考や理性によって、本能的な感覚・・
つまり”生命の躍動”を抑えるようになってしまうと僕らは生きている感覚を失っていきます。


生きている感覚を失うということは、

・感情が分からなくなっていくということ
・好き嫌いが分からなくなっていくということ
・欲しい、いらないが分からなくなっていくこと


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つまり、情報や理屈、”正しさ”によって
動かされるようになっていくのです。


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身体の拒否反応を無視して、理性や頭による思考で押さえつけ

『これが人生だから』『仕事だから』『結婚生活だから』『常識だから』と

自分をごまかして生きるようになるのです。


僕らが、身体を流れ躍動する生命エネルギーとひとつになり
“表現する躍動”となったとき、生きる悦びの感覚を得られます。


下腹部の真ん中にある第2チャクラは、そんな”生きる”という感覚の源であり
身体のメッセージの表現の源であり、この世界を味わうための感覚器官の中心になるものなのです。

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