以前、僕はとても面白い体験をしました。
すべては、『ない』という状態。
『ない』としか表現できない世界。
それは、ある人と電話をしているときにおきたこと。
その人に電話をかけたとき、のっけからこう言われたんです。
『 堀内さん、”ない”の!!! 』
『 ・・・へ!? 』
『 んーーと “ない” !もうっっっ”ない” の!! 』
そのとき、僕はこんな風に言われたんだと捉えたんですね。
『 ええ、あなたみたいな人はありえない。
人間的にも、”ない”!
考え方もやってることも、”ない”!
だから、今後のお付き合いなんか、ありえ”ない”!! 』
えぇぇえええええ!たった数日前までめちゃ仲良かったじゃないですかー。
というか、僕のこと全否定って、ちょっとショック。
で、話を聞いているうちに段々とそういうことを言ってるんではないな・・ということが分かってきました。
この人の言っていることはどうも違うことを言っているみたいだ。
ふむ。どういうことだろう・・・
僕は、相手の感覚をじっくり感じていくと、次第に共鳴していき、相手と同じような感覚になるという体質があります。
・・そして、電話の向こうのその人の感覚に近づけば近づくほど・・
・・・ない!!!!
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そう、『ない』としか表現できない状態。
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会話をしている自分も、相手もいない。
思考している自分もない。というかそもそもの思考もない。
肉体も、これまでの経験も、現実生活で積み重ねたあれこれも、とにかく、ない!!!!
としか説明できない状態。
『 ・・・た・・確かに “ない”!ですね・・ 』
『 でしょ?? “ない” でしょ??? 』
あえて言うならば、意識はある。
なにもない場に観察する意識だけがある。
あらゆるものが産み出されている空間のようなものを、観察している意識だけがある。
そして、電話が切れないのです!!!
なぜなら、あなたもわたしもいないから。
いないもの同士なので、会話も『ない』。
ないものは切ることもできない。
でも、会話はできている不思議。
『 ねー、”ない” から電話切れないですよねー。 』
『 ねー、どうしましょーねー。 』
『 と言っても、切っても切んなくてもどっちでもいいですよねー。 』
『 だって、”ない”もの!! 』
・・・という外から見たら完全にイッちゃった者同士の会話!
どこか残ってる意識が「・・あー、このまんまじゃまずいなー 」と、かろうじて思ってました。
で、このように伝えました。
『いまから僕は、戻りますね。このまんまじゃ電話が切れないから。』
そして、自分を取り戻して電話を切ったところ・・・
・・んん??あまり戻っていないぞ?まだ “ない” が続いてる。
その瞬間、沸き起こる至福感。
全身の細胞が喜んでいて、”喜びの振動のかたまり”としか表現しようがない状態になりました。
全身の細胞のひとつひとつがエクスタシーを感じているという、表現しようのない悦びの感覚に包まれていました。
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へえー、ありとあらゆるものを取っ払うと、
至福しか残らないんだ。
なるほど僕らの正体は、至福なのか!
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メールをしていると、その相手が愛おしすぎる。
あまりに愛おしすぎて涙が出そうになる。
いま、外に出たら、道歩く人全員にハグして『あなたとひとつになりたい!!』と、変質者ギリギリのラインだよこれー、みたいな不思議な感覚。
全部が全部キラキラしている感じ。
・・さて、大分長くなったのですが、結論から言いますと僕の中では
『 つまんねえ。 』
という感覚がありました。
例えるなら、2時間映画があったとして、最高の美しい風景のなか、主人公が幸せそうにニコニコしている。
一切シーンが切り替わらず、2時間ずっとそれ。
クライマックスも、盛り下がりも盛り上がりも、いっっさいの起伏なし!!こんな映画を2時間黙って座って見とけと言われたら・・
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退屈しすぎて死にそうになる。
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まだ風景や主人公はあればいいものの、何せあの世界にはそれすら “ない”。
究極の至福とは、究極の虚無でもある。
それが、その体験から得たものです。
そして、この世界に生きているということは、”ある”を生み出すということ。
その “ある” を楽しむこと。”ある” を遊ぶこと。
同時に、いろいろなものを抱えている一切から開放された”ない” ということの素晴らしさ。至福。
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この体験から僕が得たことは、
生み出すことの楽しさ素晴らしさ。
この現実世界のなかを生きることの
楽しさ素晴らしさです。
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“ない” と “ある” の両面にはそれぞれの魅力があります。
どちらがいいというより、両方の素晴らしさを自分の人生に活かしていくことで、何倍も人生を豊かにすることが可能であると、僕は感じています。
それこそが、クリエイティブするということで、いま、この世界のなかで生命を表現するということ。
あなたの中にある、つくりだすこと。育むこと。表現すること。その種を刺激したい。
そして、そんな風に世界中の人たちが生み出したものを見てみたい。
そのために、この人生を生命を使っていこう。そう思うのです。