娘が産まれたときに、彼女は笑顔で囲まれていました。
両親や祖母の、これほどまでにないほどの嬉しそうな表情、幸せそうな笑顔。今でも印象に残っています。
それからも、娘を会わせると、いつもそこは、ただただ幸せと笑いで溢れています。
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それを見て、僕の娘は
ただ存在しているだけで
周りに喜びを与えていると感じます。
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そう、ただ存在しているだけでです。
僕の両親を海外旅行に連れていくとか、なにかをするよりも何倍も幸せを与えているのです。
ただ、存在しているというだけでです。
娘には、生まれて来てくれてありがとうと感じます。
彼女が大人になって、” 親孝行 ” をしてくれたとしたらそれは嬉しいでしょうが、すでに生まれてきてそこにいてくれる。
それだけで、生涯の孝行をすでにしてもらったと感じています。
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ふと自分に置き換えたときに、
自分も同じように存在している
というだけで喜んでくれる人が
娘と同じようにいるんだな、と感じました。
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僕らは自覚していなくても、産まれた瞬間なにをしてなくても、ただ存在しているだけで、すでに悦びと幸せを与えているということなのです。
もし、あなたが自分に価値がないと感じているとしても
たいしたことなど、何もしていないと感じているとしても
誰にも何も与えていないと感じているとしても
ある瞬間、あなたの笑顔は海外旅行に行くよりも、すごい財産をつくってあげるよりも、はるかに本質的で深い喜びを、周りの人にもたらしているのです。
まずは、そのことに思いをはせてください。
立派な人物になるとか、誰かの役に立つとか、褒められるなどなくっても、とっくのとうに、あなたの存在は誰かの悦びだったのです。
だからね、もしあなたが誰かに誉められるためとか、認められるためとか・・
そんなことのために頑張っているのであればすでに、それは必要はないのです。
生きているってことに罪悪感を感じる必要はないし、この世界をただご褒美のように楽しむように遊んでも構わないのです。