ミッション、使命はすでにあるという前提で、生きてみる

前回、「あなたは、いまこの瞬間もミッションの中に生きています」ということをお伝えしました。 

 

今日は、もう一歩踏み込んでみますね。 

 

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それは、「ミッション、使命はすでにあると

いう前提で、生きてみる」ということです。 

 

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とくに、自己啓発の本やセミナーなどで勉強をしている方が、「ミッション病」という、 一種の病のような状態に陥っていると感じることがあります。 

 

「ミッション病」の症状は、以下の通りです。 

 

・ミッションが見つからないと人生がスタートしないような気がする 

・使命感をもって大きな活動に取り組んでいる人が眩しい 

・ある瞬間は、「これだ!!」と思って勢いに乗るものの、つぎの瞬間には「違うかも・・・」と落ち込んでしまう。 

・「かっこいい」壮大なミッションに憧れる 

 

あなたが、こういった症状にしばらくハマっているのであれば、 いちど思いきって手放すことをオススメします。 

 

大丈夫です。 

 

手放したところで。ミッションは逃げることもないし、忘れてしまうということもありません。 

 

なぜなら、ミッションはいつでも、この瞬間、どの瞬間であれ、 片ときもあなたの側を離れたことはないからです。 

 

それどころか、いつでもあなたは、いまでもミッションの中に生きています。 

 

あなたの中に、いつでも、息づいています。 

 

「そうは思えないよ。いまの自分の人生は退屈だし、 普通だし、情熱の中に生きてわくわくしているわけでもないし。。。」 

 

もしかしたら、このように思う方がいるかもしれません。 

 

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ですが、あなたがご自身の役割を

果たしている、人生を生きている、 

そういった実感を得ているかどうかと

「ミッションを生きている」ということは、

別次元の話です。

 

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例えば、あるテーマの映画があったとします。

3時間の長編映画です。 

ラストシーンで、その映画が多くの人に感動を与えたとして、 その、最後の瞬間のラストシーンのみが、この映画のテーマであると言えるでしょうか? 

 

その映画の主人公が、ミッションや使命を理解していなければ、 その映画のテーマというものに意味はないのでしょうか? 

 

最初の2時間48分45秒まではテーマでなくて、2時間48分46秒からがテーマであると、区別できるものなのでしょうか? 

 

つまり、「この瞬間だからミッションを生きている」「この瞬間だから生きていない」という判断は そもそも出来ないものなのです。 

 

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いま、この瞬間にあなたがミッションを

生きているかどうかということは、

あなた自信にすら判断できるかどうか

分からないという性質のものなのです。 

 

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ですので、「ミッション、使命はすでにあるという前提で、生きてみる」 

 

あなたが、カフェでランチを食べているときにも、ミッションを生きています。 

あなたが、歌を歌っているときにも、ミッションを生きています。 

あなたが、悲しみに打ちひしがれているときでも、ミッションを生きています。 

あなたが、自分の才能のなさに情け無さを感じているときでも、ミッションを生きています。 

あなたが、世界でひとり取り残されていると感じているときでも、ミッションを生きています。

 

 

それが、偉大であるとか、世界に貢献しているとか、そういったことと ミッションを生きているということは、まったく別の次元です。 

 

まずは、人生を信頼してみてくださいね。 

心配しないでも、気付く瞬間には必ず気づきますから大丈夫ですよ。

 

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