ミッションやビジョン、人の役にたっているかどうかを気にする方がいます。
その人の話を聞いていると、
「 ああ・・この人は” 誰の役にもたっていない自分がきらい ” なんだな。 」
と感じます。
もっと言えば、世の中の役にたっている自分は好きだけど、役にたっていない自分には、価値を感じられないし好きじゃない。
僕らは、自分を好きになればなるほど、自己肯定のために何かをする必要がなくなっていきます。
自分を好きになればなるほど、なにかをしているとか条件に関係なく、内側の自分の声に従って動けるようになっていきます。
それだけ、自分の全てと繋がることができるということです。
もっといえば、自分を好きでないというのは、自分の奥に繋がりたくない、自分の正体を見たくないということなのです。
セッションをやっていても、かなりの方の悩みの根っこにあるのは、「 私は自分の正体を見たくない 」なのです。
正体が万一醜かったらどうしよう、相手に醜い部分を見られたらどうしよう、という恐怖なのです。
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ミッションや崇高なビジョンを
語ることが大好きな方は、
自分の一番醜い部分を見られたら
誰にも愛されないと心の奥底で
感じている人がものすごく多いです。
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でも、僕らが自分が見たくない、愛せないところを見た時に、繋がることができる領域があるのです。
それは、普段自分が感じられる自分のもっと奥の奥にある領域・・
それは、魂、命の領域としか呼べないところです。
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僕らが自分を本当に好きになった時には、
魂の声を聞けるようになります。
これがインスピレーションなのです。
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そして、この自分の奥の奥にある意識に繋がったとき、心理学的でいうところの集合意識とすら繋ることができるのです。
ヒット商品やヒット曲を生み出した方や芸術家の方などの、インタビューでもよくでてくる話です。
横尾忠則さんは、「ワシが描きたいものは、すでにあちらで完成されているわけやから、こちらで何も操作する必要がないのだ。」と言っています。
ジョンレノンさんは、「曲というのは、いきなりやって来るものなんだ。」と言っています。
宮崎駿さんは、「 無意識の、もっと底に行かなきゃいけないんだよ。無意識じゃないんだよ。
どこに繋がっているんだか分かんない底に行くんです。作品ってそうだよね。」と言っています。
この話は僕もよく分かります。<ライフ・デザイン・メソッド>を作っていた時、僕の知識を超えているものも含めて、完成したコンテンツが降りてきていました。
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魂の声を込めて形にするのが
インスピレーションを形にすることです。
そうすると結果的に誰かの役にたちます。
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これは自然界の人間以外がやっていることなのです。人間以外の存在はビジョンとか意識していません。やりたいことだけやっているのです。
例えばミツバは蜜を運ぶことしか考えていません。蜜は自分たちの食べ物ですよね。でも結果的に花を受粉させています。
もしミツバチが人間みたいに
「こんなに花が一生懸命に作った蜜を自分が食べたいというエゴで奪ってはいけない」
という発想をもったとしたら、自然は崩れてしまいます。
「好き」の気持ちに純粋になると「魂の好き」に直結します。
「魂の好き」は、意識の奥で繋がっている”誰かの好き” に直結しているのです。
だから誰かの役にたっているかどうかなんて、捨てちまえばいいのです。
ミッションや、”崇高なビジョン”なんて捨てちまえばいいんです。
そういった自分の価値を実感したいがための “誰かのため”や”世の中のため” を超えた先の “純粋な好き” が、巡り巡って僕らが何者かを教えてくれるのですから。