『 ミッションを明確にしましょう! 』という教えがありますが、
これは女性の方にとっては、しっくり来ない、って感覚あるのではないでしょうか?
これは、サヌキ(男性的・外側)的な感覚からもたらされた表現だからです。
※ 実際には僕らは、女性でも男性でも、
アワ性・サヌキ性(女性性・男性性)両面の性質をもっています。
ですので、アワ(女性的・内側)的な感覚がつよい男性にもしっくり来ないでしょう。
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ミッションは、日本語では『使命』。
『 命を使う 』と書きます。
対して、生命の源たる
アワ(女性的・内側)的感覚からすれば、
いのちは湧き出る泉。
“使う”って感覚よりも、
日々こんこんと湧き出るものなんですね。
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だからアワ的(女性的)な性質が高い方であればあるほど、別になんにもする必要はないのに・・・と感じます。
だって本来は、ただいるだけで、
それだけで、十分、内側にある “生命の悦び” を実感できるから。
これに対してサヌキ的(男性的)基質の方は
外側で、具体的な形にしたい!という基本的な性質があります。
生命を使って、目的に向かって動いていきたいんです。
もう、性質だからどうしようもないんです。
逆に、具体的な目的がないと『 存在意義がない! 』って感覚になるんです。
だから、サヌキが使命に目覚めるっていうことは、世界のなかで、自分の役割や存在意義に目覚めるということ。
それがないと、サヌキは『 世界に居場所がない 』という感覚になり、生きる目的を見失い、破壊的になるのです。
サヌキにとってのミッションとの出会いは、『 世界に居場所 』ができることと同じなんです。
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サヌキにとっての “生命の表現” とは
『 使命を生きる 』ということになります。
アワにとっての “生命の表現” とは
『 愛で満たされる 』ということになります。
つまり、愛と使命とは、
どちらも “生命の表現” であるということです。
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そして、ここからです。
僕らの、内なる性の本質は、グラデーションなんです。
そのグラデーション具合によって、
『 内なる愛の悦び 』中心になるか、
『 外への使命の表現 』中心になるのかが変わってきます。
あなたが、女性性(アワ性)ベースであれば、
日々のなかで、内なる愛を表現することが人生を運んで行きますし
男性性(サヌキ性)がベースであれば、
日々を、より大きな使命とともに生きることで人生を運んでいくでしょう。
愛とは、『存在をただありのまま受容すること』です。
使命とは、『存在の意味を生きること』です。
愛により、その対象は生命を吹き込まれます。
使命により、やはりその対象は生命を吹き込まれます。
愛は、女性性(アワ性)による、この世界での生命の表現です。
使命は、男性性(サヌキ性)による、この世界での生命の表現です。
愛は、周りにある存在に触れるだけで
その存在は存在することの意味を感じることができます。
使命は、自らを対象とすることで、
自らが存在することの意味を感じることができます。
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さて、エゴには、この世界でつねに
“存在したい” という欲求があります。
それこそが、エゴの根源的な
たったひとつの欲求です。
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エゴは、愛を受けることで、ただ存在するだけでいいことを理解します。
エゴは、使命を生きることで、この世界に生きる意味を見出します。
つまり、エゴは、愛・使命を通して生命を吹き込まれるのです。
エゴが愛か使命を受けていないとき
それはつまり生命と繋がっていないということです。
それは、エゴにとって死を意味することになります。
この世界で居場所がない。
アワは、そのとき世界から消えていなくなりたくなります。
(内側に向かう性質だから)
サヌキは、そのとき世界を破壊したくなります。
(外側に向かう性質だから)
ですので、あなたが女性性(アワ性)がベースの方であれば、
あなたに愛を満たせば満たすほど、その世界は生命で満たされます。
あなたが、男性性(サヌキ性)がベースの方であれば、
世界を使命に生きれば生きるほど、その世界は生命で満たされます。
これが、アワとサヌキにおけるこの世界における生命の原理です。