愛とは、存在を認めることです。
(例えば、マザーテレサは『愛の反対は、無関心』と表現しました。)
使命とは、存在の意味を生きることです。
愛により、その対象は生命を吹き込まれます。
使命により、やはりその対象は生命を吹き込まれます。
愛も使命も、どちらも、“ある意識”がこの世界に現れたものです。
愛は、女性性を通してこの世界に現れたものです。
使命は、男性性を通してこの世界に現れたものです。
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だから、僕らは“愛”か“使命”とひとつに
なっているときに、
【 ある意識をこの世界に表現 】
していることになります。
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つまり、愛も使命も同じものの表現の違いということになります。
愛は、対象に向けられることで、その対象は存在することの意味を感じることができます。
使命は、自らを対象とすることで、自らが存在することの意味を感じることができます。
エゴには、つねに存在したいという欲求があります。
それこそが、エゴの根源的なたったひとつの欲求です。
エゴは、愛を受けることで存在することができます。
エゴは、使命を生きることで存在することができます。
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エゴは、愛/使命を受けることで
生命を吹き込まれるのです。
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もし、エゴが愛か使命を受けていないときには、それは死を意味することになります。
それが、恐れの根本原因となります。
その恐れは、ありとあらゆるものを引き起こす原因になるのです。
この原理は、ありとあらゆるものに応用が可能です。
ですので、あなたが女性性がベースの方であれば、世界に愛を注げば注ぐほど、その世界は生命で満たされます。
あなたが、男性性がベースの方であれば、世界を使命に生きれば生きるほど、その世界は生命で満たされます。