10代・20代の頃、僕の悩みの原因は
『 恵まれすぎて、幸せすぎる 』ということでした。
僕の父親は、グランドホテルの経営者でした。
食べ物もお金も着るものも家も、特に不安を感じたことはありません。
やりたいことはやってもいい。学校も希望するところへ行くこともできる。
両親は僕をとても大切にしてくれたし、愛してもくれました。
家族も仲良く、常に仲の良い友達もいました。
形としては、”幸福なものが全て揃っている” のです。
でも、息苦しさと絶望感をいつも感じていました。
『 全て揃っているの。用意してあるから大丈夫。 』
これは、僕という生命体にとっては
『 あなたは、何もしなくていい。 』
『 あなたには、存在価値がないの。 』
ということと紙一重でした。
全て揃っているのであれば、自分は何のために存在しているのか?
ノンビリなにもしなくても生きていける。
ゲームや漫画に浸っていても、明日死ぬこともない。
目の前には、生きるためにしなければいけない緊急の問題がなにひとつ横たわってない。
仕方なく、諦めたように目の前に用意された課題を真面目にやるフリをして日々を過ごしていました。
かつての僕は、生きることへの静かな絶望を日々感じて感覚を麻痺させていきました。
そして、いまセミナーをして、痛烈に感じていることがあります。
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かなりの方に起きている悩みの原因とは、『幸せすぎる』ことです。
不幸だから悩んでいるのではないのです。
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幸せすぎて、満ち足りすぎて、生存しているということが当たり前すぎて
生きるという基本を細胞レベルで
感じにくくなってしまっているのです。
なぜ、自分が存在してるのか分からない。
毎日生きている意味を見出せない。
これは、食うものにも困っている方たちからすると贅沢すぎる悩みです。
『 この世界には、もっと不幸な人がいる・・ 』
『 食べられない時代と比べて、いまは幸せだ。 』
『 みんな我慢して働いている。 』
でも、それは豊かなこの日本においては仕方ないのではないでしょうか?
食べるものも、寝るところも、着るものも、部屋の温度を快適にするものも
洗濯も、移動手段も、情報すらも安心して手に入る。
多くの方にとって今の生活環境のなかでは
生きるということへの渇望を得ることは難しくなってきている。
そう感じています。
10代の頃、全てを与えられた恵まれた環境の中で生きる目的を見失い、無気力になった僕にはよく分かるのです。
僕がLDMを通してお伝えしたいもの。
それは、自分自身の存在理由が、
細胞や身体のレベルで腑に落ちると、
本能に近い欲求が目を覚ますということです。
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自分が何に生命を燃やし尽くしたいのか
それを見つけるだけで、人生に彩りと生きがいがもたらされるのです。
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そこから、人生が大きく変化していくのです。
僕で言えば、自分のなかに存在している最大の欲求に気づいたときに
それが目覚めました。
僕の場合には、自分のなかにあるものを
漏らさず絞り出したい!表現したい!という渇望です。
この渇望は、どこまでいっても満たされることはありません。
・コンテンツやテキストで絞り出し・・
・セミナーや講演会でも絞り出し・・
・打ち合わせでも絞り出し・・
・ブログを書いても絞り出し・・
絞り出しても絞り出しても、物足りない。
もはや、なぜそうしたいのか?ということについて疑問すら浮かびません。
僕にとって、絞り出して表現することは
自分そのもの、生きることそのもの、自分の生存そのものです。
その声は、最初は小さな声でした。
『 目を覚まして!! 』
『 こっちを見て!! 』
その声は、日に日に大きくなっていきました。
それは、インスピレーションという形をとった魂の叫びだったのです。
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インスピレーションは、魂の声、魂の叫びのかけらです。
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もし、日常の忙しさに埋没しているようであるならば、その声は悲鳴に近い叫びとなっているはずです。
無気力となって、毎日をなんとなくやり過ごすのか
それともその声に気づいて魂が本当に体験したいことへ目覚めるのか。
それは自分の選択です。
もし、
『 目を覚まして!! 』
『 こっちを見て!! 』
あなたのなかでその叫びが聞こえたのであれば、その声を聞いてください。
その声を受け止め、誠実に従えば従うほど
あなたは、生きるという基本を取り戻すことができます。
そして、その声の中心と繋がれば繋がるほど
どんどん大きくなっていきます。
その声に従えば従うほど、
細胞全てが活性化して
そこから生きるという感覚が増していきます。
いつしかあなたは、自分自身に魅了され、自分自身に夢中になり
自分自身の虜となり、あらゆる活動のなかで
あなた自身を表現している自分に気づくことでしょう。
あるとき気づいたら細胞のひとつひとつが
震えるような悦びを感じながら毎日の一瞬に集中し、躍動感を生きているあなたになっていることでしょう。